それぞれの「世界平和」
うちのだんなさんは、着物屋なので「着物で世界平和を。」と言っている。
(唐突ですね。ごめんなさい)
世界平和をゴールに描くところから、日々の行動をしている。
なんてバカみたいなんだろう。
なんてダイナミックなんだろう。
これが彼の脳内マップだ!!
正直、一緒にいる私でもよくわからなかった。
けれど、最近わかってきたのは
どうやら、一人ひとり千差万別のあり方を認め合う、「ちがい」を尊重しあうってことが「世界平和」につながるっていう風に彼は思っていて。
着物で国際交流をするという意味合いだけではないということがやっとわかってきた。
全然次元の違う話だった。
正直、そのことがポンってわかったときは泣いてしまった。
感動して。
さらに、今朝、ダンナと話していて号泣した。
なぜだかというと、またもやポーンと気づかされたから。
どんな話からたどり着いたか忘れたが、
私は寅さんに近い。自分の思い込みで世界を見てしまって、独りよがりで喜んだり悲しんだり、周りの人を振り回したり、助けられたりしている。
(そのことについては別な機会に、じっくり書くことにする)
ようは現実をありのままに見ていないで、自分勝手に変換している。
細かく見ていない。でもこんな私でもきっと役割というか、人への気遣いがおおざっぱなおかげで、大きくみるとできてしまう、大体でやれてしまうという強みがあるというようなことをダンナが言ったのだ。
自分自身のことはよく見えないものだけれど、寅さんにさくらがいるように、私にはありがたいことに助言してくれる、友人や家族がいる。
繊細過ぎたらできないようなことをして、物事を動かしているのだ。
雑とか、おおざっぱとか、言われるけれど、それはそれでいいのだ。
私はどんな人もわけ隔てのない世界に住みたい。
だからどんな人も差別、区別なく同じように接したい。
接客の仕事をする時にもそれは現れるし、
イベントで動員するときも、自分の知人友人だけとか偏りたくない。
色々な人に知ってほしい。多くの人に。そう思ってしまう。
フラットでありたい。
「平」に「和」したい。
というような感覚。
自分自身の心の中は偏っていきがちだけど。
目標だから。あくまでも。
一口に「世界平和」というけれど、
自分を含める世界なわけだから、自分のあり方がそこにあるんだよね。
それぞれが違うことを認め合える世界は、相手を自分のほうに引き寄せようとしない
自分の思い通りに変えようとしない、ただ、そのままを認め受け入れるという世界だ。
私の思う世界平和は自分の心の平和から発している。
インナーピースなのだ。やはり。
平らかで、調和する世界。
そんな自分自身でありたい。