はじまってるB面日記

はじまるや店主の日々の気づきです

むすんでひらいて

もっと現実を見なさい

 

今ここを味わって

 

対象に集中しなさい

 

頭の中じゃなくて

 

ものを目でちゃんとみたり

 

音をよく聴いたり

 

感じたり

 

「考え」や「言葉」じゃなくて

 

「感覚」を五感で味わって

 

・・・・・

 

どこに行ってもそれを突きつけられた

 

料理の仕事で、オーナーにダメだしされたときも

お話を聴くボランティアをしたときも

彼と関係がうまくいってないときにも

・・・・・

 

何かがうまくいかないとき

じぶんの頭の中と外側の世界が合っていない

 

そして、その頭の中で思い描くものと違う

相手がそうふるまってくれない

 

そう感じると

 

相手を責めはじめる

 

口にしなくても

それは伝わる

 

へだたりができる

 

そして

そんなわたしに

ちがうよと

頭の中で考えてる「自分の理想」とか「願望」とか

そういうところから来ないで、と

 

わたしにそういってくれるひとは

とても自分に正直で

相手にも正直で、誠実であろうと、伝えようとするひとだ

 

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これは、料理の仕事を辞めた後に、もやもやした気持ち、言葉にならないものを形にしようとして、銅板で作った形だ。

 

いいふりこき(いいかっこしい)なわたしは、料理ができそうに見えたのだろうか・・・もともと店のお客だったために人が辞めるタイミングで、スカウトされた。

入ってみるとオーナーの女性は、裏の顔はとても厳しくて、すべてにおいて完璧主義。

適当でズボラな私も、仕事となると頑張るのだが、ダメ出しに次ぐダメ出しで、オーナーと上手くいかなくて、結局辞めさせられた。最後はストレスで口角炎が治らなくなった。

あんなに頑張ったのに、心を通じ合わせることもできぬまま、急な解雇はショックだった・・・・

 

けれど

なんかよくわからないけれど、心の中が相手を責めるだけじゃなくて

モヤモヤとした釈然としない

もっとこうすればよかったのか、ああすればよかったのか

 

いや本当はこうしたかったのに、こうできる自分が足りなかった。

 

 

それを、言葉にすると

「受け入れる」ということだ

 

私にオーナーの性格の何かを「受け入れる」体制が整っていなかった

 

それは

書きながら気づいたのだけど

 

やはり自分の頑なさと同じもの

完璧主義なところ

いいふりこきなところ

人に任せられないところ

 

 「受け入れる」っていう形を作ってみて

相手の何かだと思っていたけれど

ああ、自分を受け入れてなかったんだ

 

受け入れるということは

自分の手の形を変えるということでもある

グーの手をパーにする

ほどくということ

 

もっと開いて受け入れたい

わたしのある部分を

受け入れられたら

手を結びあえるのかな

もう一度

 

 

・・・・・

 

 オーナーが教えてくれた

料理は五感でするのよという言葉

 

その時は全く分からなかった。

今でも何となくだけど・・・・

 

とにかく

今、ここを味わってみることを

もう一度意識に刻み付けることにしよう

 

 

 

深夜の独り言

よく、「今ここに生きる」とかいうじゃない。

今、ここにいるって、得意な人と、そうでもない人といるような気がするんだよ。

私も小さいころから、空想、妄想、そんなことが大好きだった。

頭の中で常に物語を空想していたし、一人で遊ぶのが大好きな子ども時代だった。

成長してからも、

非現実的なことのほうが得意だった。

恋することは一番得意。空想と思いこみの世界に浸れるのだから。

 

でも、結婚したら、現実的にならざるを得ないわけで。

日々の生活、暮らしのこと。

だからそういう自分になろう、ならなきゃ、と頑張ってきた。

そして、ある程度は板についてきた・・・・と思っている。

相変わらず、掃除は苦手、お客様が来る前ギリギリにならないと片づけられないけれど・・・。

 

この雫石という町は、冬、けっこう雪が降る。

だから当然雪かきも必要になる。

薪の準備もしなくちゃいけない。

畑も待ってはくれない。猫も餌を欲しがる。

当たり前の日常生活。

 

しかし、・・・

 

人間は向き不向きってモノがやはりあるなと感じる。

私はピアノを弾いたり、何かカキモノをしたり、鼻歌唄ったり

ネットサーフィンしたり、

そんな時間が必須のようだ。

 

空想を掻き立てるアートの時間や、

友達とのたわいないおしゃべりや

カフェで一人で過ごす時間のなんと大切なことか。

 

わたしはよくもっとグランディングを!とか、地に足をつけて!と言われる。

そうかもしれない。

でも、草取りとかすると、すぐ疲れるんだよーー。ぐったりするんだよー。

 

もうお金の計算とか、草取りとか、片付けとかは、得意な人、できる人に任せて、

思い切り、自分らしくいてみようと思う。

 

幸い、その環境にあるので。

自由な今、自分が作った「こうあるべき」とか「ねばならぬ」と枠を

自分で壊す勇気を持つだけなんだ。

 

自分にとって楽なことをするのに、本来勇気なんて必要ないじゃないか。

なのに、なんだかいろんなモノが邪魔するのはなぜ?

 

本当の意味で「今ここ」に生きるってなに?

自分の心に、自分の体に、今、聞いて、そのままをすること、だよね?

 

私は「うまく」やろうとしてきちゃった。

「正しく」やろうとしてきちゃった。

「いいこと」言おうとしてきちゃった。

本当の欲求がわからないほどに。

 

だから、ちょっとほどこうと思うんだ。

だからB面の自分。実はこっちもA面ってことで。両A面!!

 

 

ああ、この感じ。ってやつ。

ここ数年、偶然というかなんというか、必然なんだろうな・・・ということが増えてきてる。

 

朝、目に留まった記事、そこから派生して聞いた曲、その後の昼食のお店での店の人との話・・・ここでそうつながるか!!ということが多々あり。

 

こないだも、あるイベントを主催した友人が、興味がありそうだから、見せてあげようと思って、ある木工作家さんのパンフレット(数日前にクラフト市でget。買わなかったけど、見とれてしまった)を当日出発直前にバッグに忍ばせた。

 

そしたら、到着した現地で、そのパンフに載ってる写真と同じ顔の人がいるではないか!思わずパンフの顔写真と、生のその人を見比べながら、近づいていった。

そう。その作家さんその人。当人。もうすでに友人とは知り合い。

 

なんかこういうことがあると、ふと目に留まったもの、手に取ったもの、思いついたものは、未来から呼ばれてるとしか思えないので、ちゃんとそのメッセージに従ってみることにしよう。と、意識をより強く持つ。

 

今までは、なんだかわからないけれど、こっちに行くとか、なんだかわからないけど、の行為が、無駄なように思えていたけれど、そんなことないんだ。

 

でも、期待すると、まったくダメなもよう。

スケベ心は出してはいけない。

あの人に会えるかな??などとルンルンしていった場所にあの人は決して現れない。

しかし、今日はなんだかいつもよりも髪型が決まってる、とか

なぜかこっちを通りたいとか、いつもと違う行動をすると

そこに出会いがあったりする。

 

委ね切ろう。

自分が思ってるよりずっと

奇跡って起きてるから。

 

ひらめくことと考えることは違う。

頭で考えることは小さい自分の枠の中。

ひらめくことは大きなものからのメッセージ。

 

それに従っていけば

きっとうまくいくようにできてる。

つながってる。

 

 

 

トート・タロットとの出会い

今日はトート・タロットについて書いてみたいとおもいます。

私はたまにオラクルカードというのはやっていて。

エンジェルカードだったり、和尚タロットだったり、ま、おみくじ感覚で今日の一枚!みたいに引いて楽しんでいたので、絵からインスピレーションをもらうのは何となくなじんでいた。

タロットについても最初はそんな感じでとらえていました。

 

しかし!このトートタロットは購入した時の出会いからして

 

「魔術的なカードですよ。心してください。」

とお店の店主が私の目をまっすぐに見て言ったように、「特別」だったのでした。

 

あれは一年前の春のこと。埼玉までとあるブログで知ったトルコ人と日本人のヒーラーさん夫婦

Heaven Earth Healing House

に会いに行き、過去世やらなにやらカルマまできれいにしてもらった帰り道・・・

まだまだ放心状態というか、そんな感じでふと、地元の友人が昔住んでいた「国立」にある「月船」

HOLY SHOP 月船

という店に急に立ち寄ろうと思いつきました。

スピリチュアルな店であろうということはなんとなく察しがついていましたが、あやしい健康に良さそうな商品やら、クリスタルや、いろいろなグッズを見つつ店内を散策。そこで、ある箱がたくさん入ったワゴンセールに目が釘付けになりました。

 

この絵、どこかで・・・

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数日前にNANDARA

https://www.facebook.com/chiba.junya.nandara/?fref=ts

という内面の日常を描き出すワークショップで布に描いた絵そっくり。

しかも、それを缶バッジにしたやつを、ちょうどその日、上着に着けていたのだ。

 

ぞぞぞぞーーーー!

とにかく山積みされたタロットが語りかけてくる。

ラッキーなことに通常の半額以下で。(私は主婦としてあまりよく知らないものを急に買うということについては厳しい。)

そして店主の真剣なまなざしと上記の言葉。

 

「わああ、もうこれ買うしかない感じじゃないよーー!!!」

 

こうして入手した「魔術的な」タロットカードですがこの2か月後、なんとレオン・サリラ先生というこの道40年のトート・タロット研究者が、分厚い解説本、その名も「魔術師のトート・タロット」を出版されたのです。

出版記念トークショーでお話もじかに聞くことができ、なぜだかとてもとても感銘を受けました。

公式サイトはこちら Welcome タロット王国

 

そして毎日引くように。日々の出来事と照らし合わせながら、カードと仲良くなっていったのです。

 

646ページにもわたる解説本のプロローグはこうはじまります。

 

「タロットの前に立つ人は、大別すると二つのタイプになると思われる。一つは、偶然、あるいは人に教えられてタロットを手にし、カードの意味や種類、歴史などを知りたいという動機を持つ人で、もう一つは、タロットの前に立ったとき、その絵が心に食い入ってきて、タロットがその人をとらえて離さなくなる人である。トート・タロットは、特に後者の人たちにとって人生を生きる上で特別なツールになる性質を持っている。」(「魔術師のトート・タロット」より)

 

まさに私の場合も後者。トート・タロットのほうから私に近づいてきたような印象です。

 

ちなみに、カードを購入したショップ「月船」も、実はその日ヒーリングしていただいたYUUKAさんとStronwingsくん夫妻が「ソウルギャザリング」というセレモニーを初めてやった場所だということが先日わかりました。この日のご縁で今年夏に岩手でもソウルギャザリングを開催できたのですよ。どんだけつながってるの!コワ!!

夏休み 北海道へいこう。 続編 岩手❶ - StrongWings & YUUKA & MAYA の 冒険日記。

 

 私は毎日タロットを引きつつ、だんだん慣れ親しむ中で

タロットの霊(スピリット)フールの存在を感じ、導いてくれていると感じるようになりました。

もちろんいろいろな存在が私たちを見守り導いてくれていますが、このフールはカードに宿り、行先案内、向かう方向性をカードを通してアドバイスしてくれるのです。

 

とにかくこのカードと出会ってから、本当にいろいろなことがありました。

そのたびに、トートのフールに問いかけてきました。

 

最近、自分以外にもひかせていただくようになり、やはりこれはただならぬ

「魔術的な」カードだと、本当に思うのです。

新しい生き方をしていくためのツールと言い切ってもいいと思います。

 

なんだか「魔術」「魔術」と余計怖がらせてしまったかもしれませんが

このカードを作ったアレイスター・クローリーのことなんて調べたら、もっと怖くなりますよ♪♪

 

ご興味ある方は、はじまるやで体験できますのでぜひどうぞ!

 

 

「はちみつの会」ってやつ

これは、はじまるやのⒷ面(裏日記)なので、こんなことも書いちゃいまーす。

 

7月に、セラピストの友達と、そのまた友達と、3人で、うちでマッサージや足圧のやりあいっこをしていたら、ひらめいた。

 

「あ、これ、循環だよ。きもちいいよ。お金いらないじゃん♪」ってなった。

 

お金いらない社会ってどうやったら作れるの?

みんなで助け合う社会ってどうやったら・・・そんなこと考えていたときだったので

 

これを定期的にやりたい!ってすぐになり、

∞の会と名づけた。(∞ループで、一方向ではないエネルギー循環のイメージ)

 

888ナンバーの車に乗っていた人といっしょだったり

ミツバチの習性で、花の蜜を集めるときに、仲間に花の場所を教えるのに8の字ダンスを踊るというのを思い出し、

呼び名は「はちみつの会」になった。

 

「これ!!仲間に私特技あるんだよ~。こっちこっち。」

「美味しいものあるよ~。見て見て」

 

と教えあい、分けあう会なのだ。

 

8月8日はゴロがいいので「はちみつ∞まつり」ってことでたくさん人が来てくれて

いろんな交換をした。

 

それが!!

 

前回も今回も、8の日にやろうとしたところ

 

まさかの参加者ゼロ!

これはどういうことでしょね。と分析してみようかなと

書き始めてはみたもののよくわからない。

 

もちろんあまり告知を熱心にしなかったためというのもある。

ていうかそれだけなのかな?

 

予定を無理やりにでも入れたいものじゃないってことなんだ。(ノд-。)クスン

 

いや、ちがう、ちがうぞ。

 

自分がそのことに対してどんな風に意識しているのかが問われているんだ。

 

わたしだって

はちみつまつりでわーいよかった!楽しい!喜んでもらえてだけじゃなく感じた

疲れ・・・というか消耗・・・というか

うまくいえない、もやんとしたもの、、、の正体をみないと。

 

まつり中、頭の中のおしゃべりがうるさかったのだ。

 

「ああ、この人の技は大人気で、私もやってやってと行列の店みたくなってるのに

こちらの人は全くお客居なくてあぶれちゃってる状態・・・となるのが怖い。

平等にみんなやりあいっこできないものか・・・」とか

 

「ああ一人ぽつんの人どうしよう。いいやダンナも巻き込んで一緒に歌唄ってもらっちゃえ!さあハモルのよ!さあ!!」という無茶ブリすぎる行動に出たり・・・とか

 

「私も今ヒマだよ。ほらだれかタロットやろうよ~足圧やったげるよ~」などと

 

その場を何とかしたい!とかコントロール欲びんびんになって

こうじゃないとダメ、理想のあるべき姿みたいなのに照らし合わせて

焦ってたんだ・・・・

 

みんなそれぞれのペースで、楽しんでいるように見えたし、私の考えてることは思い通りにはならず、いい感じに終わった。

ほどよく、ちょいちょい足圧のお客さんが来て、その場にずっといられなかったのも

幸いしたのかもしれない。

 

参加した人にとってはどうだったのか。こんな風にブログに紹介してくださった人も。ありがたや。

【イベントレポ】はじまるや∞はちみつまつり∞参加しました|ワタシのいかしかたを見つけるお手伝いします

 

とにかく、こんな風になにかをすれば

自分の中にあるブラックさと向き合うことになる。

のに!

 

ここちゃんとみないまま、なんとなくで、次もやろうとしていたのだ。

それは当然人集まらないさ('ω')

 

あ、よかった。楽になった。

 

もっと私自身が

こうあらねば~を外した時に居心地よい会になるんだろうな。

でそれを求めてハチさんたちが集まるだろう。

 

ちゃんとそういう風になってる。

 

もっと楽に考えよっと。

最初の気持ちを思い出して、

シェアしたいことある人、自由に出会いの場みたいな感じになればいい。

 

そして、今日はこのはちみつの会ができなかったおかげで

先月、足圧に知人に初めて連れてこられ、痛くてヒイヒイ泣いてらした男性が

一人で急きょ来てくださり、施術させてもらえた。

あの時の痛み忘れていたんだって。くふ。

そしてはじまったと同時に

「ぎゃああああ!これだあ!思い出したあ!忘れてたあああああ!!」と悶絶。

 

来るんじゃなかったとかなんとかいいながら痛みに耐えておられ

 

でも途中半分からは意識が遠のき

気持ちよさに寝てしまうという・・・

 

なんか面白かった♪

 

なんていうの?

委ねちゃおう。いろいろ。そう思うことができた

一人はちみつの日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傷つける私

私はたまに人を傷つける言葉を、発しているらしい。それも無意識に。
先日、とても近しい友人から、急に、ブロックされた。
いろんなことがその人には起こっていて、いっぱいいっぱいになっていたので、話を聴いたり、「支えていたつもり」だった。
しかし、ある時から急に連絡してくれなくなり、偶然会ってもそっけない態度に変わっていた。
 
一方的に関係を断ち切られたので、ショックだったが、私は何一つ悪いことをしたと思っていない自覚だったので、きっとその人が疲れすぎておかしくなっているんだろうと、勝手に判断して「今はそっとしておこう。」となった。
 
しかし昨日、久しぶりに用事があったので、彼女の職場に行くことができ、本人から何を感じていたのかを直接聴けた。
わたしから言われた何気ない一言がものすごく傷ついて、ショックだった。もう絶望してしまった。という。
私の言葉はそういう意味で発したものではなかった。でも夏の忙しさなどで、本当にそういう状況になり、会えなくなった。
 
「見捨てられた」…そう感じさせてしまったようだ。
彼女の過剰に感情が反応する癖もあったと思う。そういう一面を見た気がした。
 
しかし・・・
 それは鏡なのだ。自分の態度に答えがある。
 
何があっても、本当に大切にしたい友人に、かける言葉を間違うということが今回起こった。
もうこんなことはしたくない。傷つけたくない。
 

 振り返れば、不用意発言で人を傷つけたりして注意を受けたこと、何度かあるんだ。

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別の人から、この時こうだったよ、こう感じたんだよ、と言ってもらった過去何回かのパターンを思い描いて、私なりに分析してみる。
 
  
→時間が限られている、緊張しているなど、落ち着かない状況でまず自分自身気持ちがフワフワする。
 →気にしなくちゃいけない人が複数人数いて、いろんな人の思惑をキャッチしてしまう
 
→なんとかうまくいかせようなどとコントロールしようとする思いが強く出る
 
→どうにかしようとするあまり気持ちに入り込みすぎる、そしてその他の気持ちに鈍感になる
 
→安易なうっかり発言や態度
 
ああ、自分でも書いてて、がっかりなやつ・・・
 
私に必要なのは
 
・複数のいろいろな思惑に関与しない、どうにかしようとか思わなくていい
・地に足をしっかりつけて、自分の気持ちを軸に考える
・目の前にいる人を大切にすること
 
ああ、軸がなかったんだな。
と今わかった。
いい顔したいばっかりに。(誰に?初対面とか、緊張する相手とか)
いい顔を売りたい人以外の人、ある意味そこに関してはもう買ってもらってると無意識でわかってる相手、近しい人、安心している人に対して、まったく気がまわらなくて、失礼な発言や態度を出してしまうのだ。
 
 
まだあるかもしれないが、とりあえず、今日はここまででいいや。
 
また不用意な発言をしている嫌なやつに出会ったら、どうかその場じゃなくてもいいので、あとでもいいので教えてやってくださいませんか。どうかお願いしますm(__)m