「はちみつの会」ってやつ
これは、はじまるやのⒷ面(裏日記)なので、こんなことも書いちゃいまーす。
7月に、セラピストの友達と、そのまた友達と、3人で、うちでマッサージや足圧のやりあいっこをしていたら、ひらめいた。
「あ、これ、循環だよ。きもちいいよ。お金いらないじゃん♪」ってなった。
お金いらない社会ってどうやったら作れるの?
みんなで助け合う社会ってどうやったら・・・そんなこと考えていたときだったので
これを定期的にやりたい!ってすぐになり、
∞の会と名づけた。(∞ループで、一方向ではないエネルギー循環のイメージ)
888ナンバーの車に乗っていた人といっしょだったり
ミツバチの習性で、花の蜜を集めるときに、仲間に花の場所を教えるのに8の字ダンスを踊るというのを思い出し、
呼び名は「はちみつの会」になった。
「これ!!仲間に私特技あるんだよ~。こっちこっち。」
「美味しいものあるよ~。見て見て」
と教えあい、分けあう会なのだ。
8月8日はゴロがいいので「はちみつ∞まつり」ってことでたくさん人が来てくれて
いろんな交換をした。
それが!!
前回も今回も、8の日にやろうとしたところ
まさかの参加者ゼロ!
これはどういうことでしょね。と分析してみようかなと
書き始めてはみたもののよくわからない。
もちろんあまり告知を熱心にしなかったためというのもある。
ていうかそれだけなのかな?
予定を無理やりにでも入れたいものじゃないってことなんだ。(ノд-。)クスン
いや、ちがう、ちがうぞ。
自分がそのことに対してどんな風に意識しているのかが問われているんだ。
わたしだって
はちみつまつりでわーいよかった!楽しい!喜んでもらえてだけじゃなく感じた
疲れ・・・というか消耗・・・というか
うまくいえない、もやんとしたもの、、、の正体をみないと。
まつり中、頭の中のおしゃべりがうるさかったのだ。
「ああ、この人の技は大人気で、私もやってやってと行列の店みたくなってるのに
こちらの人は全くお客居なくてあぶれちゃってる状態・・・となるのが怖い。
平等にみんなやりあいっこできないものか・・・」とか
「ああ一人ぽつんの人どうしよう。いいやダンナも巻き込んで一緒に歌唄ってもらっちゃえ!さあハモルのよ!さあ!!」という無茶ブリすぎる行動に出たり・・・とか
「私も今ヒマだよ。ほらだれかタロットやろうよ~足圧やったげるよ~」などと
その場を何とかしたい!とかコントロール欲びんびんになって
こうじゃないとダメ、理想のあるべき姿みたいなのに照らし合わせて
焦ってたんだ・・・・
みんなそれぞれのペースで、楽しんでいるように見えたし、私の考えてることは思い通りにはならず、いい感じに終わった。
ほどよく、ちょいちょい足圧のお客さんが来て、その場にずっといられなかったのも
幸いしたのかもしれない。
参加した人にとってはどうだったのか。こんな風にブログに紹介してくださった人も。ありがたや。
【イベントレポ】はじまるや∞はちみつまつり∞参加しました|ワタシのいかしかたを見つけるお手伝いします
とにかく、こんな風になにかをすれば
自分の中にあるブラックさと向き合うことになる。
のに!
ここちゃんとみないまま、なんとなくで、次もやろうとしていたのだ。
それは当然人集まらないさ('ω')
あ、よかった。楽になった。
もっと私自身が
こうあらねば~を外した時に居心地よい会になるんだろうな。
でそれを求めてハチさんたちが集まるだろう。
ちゃんとそういう風になってる。
もっと楽に考えよっと。
最初の気持ちを思い出して、
シェアしたいことある人、自由に出会いの場みたいな感じになればいい。
そして、今日はこのはちみつの会ができなかったおかげで
先月、足圧に知人に初めて連れてこられ、痛くてヒイヒイ泣いてらした男性が
一人で急きょ来てくださり、施術させてもらえた。
あの時の痛み忘れていたんだって。くふ。
そしてはじまったと同時に
「ぎゃああああ!これだあ!思い出したあ!忘れてたあああああ!!」と悶絶。
来るんじゃなかったとかなんとかいいながら痛みに耐えておられ
でも途中半分からは意識が遠のき
気持ちよさに寝てしまうという・・・
なんか面白かった♪
なんていうの?
委ねちゃおう。いろいろ。そう思うことができた
一人はちみつの日でした。