はじまってるB面日記

はじまるや店主の日々の気づきです

足圧〈Solespring〉の不思議なこと

はじまるやで行っている、足圧、フミフミの呼び名ですが

Sole spring(ソールスプリング)で今後統一していきたいと思います。

 

スプリング中に、最近、言葉が思い浮かぶんです。

だいたい腕から肩にかけての声を昨日今日と聴きました。

 

最初足のほうを踏ませてもらっているときに

かなりふくらはぎパンパンで、

明らかにダンナが仕事を辞めたくて悩んでいた時とおなじ感じの足なんです。

相当痛いんですよね。

でも本人はあまり自覚がないんです。

どうしてなのかわからない。

わかっていたら自分で何とかするから当たり前ですけど・・・

 

身体と心は密接につながっているらしいですよね。

「腰痛は怒りである」ということを言い切る本もあるくらい。

 

昨日、お客様が

終了後にタロットカードをひきたいとおっしゃるので

やってみたら、二枚目に「DEATH」のカードが出ました。

これは死と再生のカードなので、次に行かなくちゃいけないんです。

大鎌をふるって、バッサリと終わらせるべきことがあるというカード

フェニックス(不死鳥)も描かれているカード

 

なんですが

これが出たときに

ご本人はすべてを了解したみたいです。

 

実は腕をスプリングしていたとき、

「執着、手放したくない」

というワードがふと思い浮かんでいたのです。

身体の声なんですね。これ。

アタマではいろいろ考える。

方法を考えるけど、にっちもさっちもいかなくなってくる。

 

はじめてに近かったので確信が持てなかったんですが

このカードを見て、本人が「そうか!わかった!!ピッコーン!」と

納得されているのを見て

私も、確信。あの言葉はこの方の身体からのメッセージだ!と。

 

 

今日は別の方にスプリング中、

「おしょーし」という言葉が出てきました。

やっぱり本人はなんでこんなに体ががちがちになっているのか

思い当たらないといいます。

 

身体はいろんなことを記憶している。

いろんな感情をため込んでいる。

それを見ないふりしていると

流れが悪くなります。リンパが詰まったり、身体が硬くなるんですね。

 

面白いなって。もうちょっとこの微細な感覚を磨きたいなと思っているところです。

来月からタロットリーディング付きのタロットスプリングのコースも始めようと思います。

1時間3000円の予定です。

(11月中はモニター価格でさせていただきます)

 

やってみたい方はご予約下さいませ。

 

はじまるや

08016757518

hajimaruya@ymobile.ne.jp

 

 

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はじまりの日

11月11日11時

11はゲートです。

古い自分にサヨナラして 新しい自分にこんにちは。

 

そんなことを意図して

はじまるやでは

「はじまりの会」をはじめました。

 

 

人前で何かをやるのが怖い自分が

ずっといました。

ずっと小さなころから。

明朗快活ないとこたちや、元気なクラスメートたちに気後れして

いつも隅っこで「いいなあ・・・」ってみてるような

おとなしい子でした。

 

大人びていたわけじゃないのですが

とにかく前に出れなかったんです。

 

恥ずかしい気持ち…これがどこから来るのかわからないけど

自分にとにかく自信がなくて

こんなんじゃだめだって常に思って生きてきました。

 

歌ったり踊ったりするのが好きなくせに

人前ではやらない。

どう思われるかが怖いから。

見られるのが怖くて

できない。

本当の姿をさらけだせない。

どうしてもかっこつけてしまう。

 

だからうまくなってからとか、

自分に許可を出すジャッジがものすごくきつくて

何事もはじまらないのでした。

 

そんな自分、もう手放したい。

もういい加減、新しくなりたい。

そう思って、数年前から日記を書いていたので

文を書くことから自己表現してみようと

FBをやりはじめたり、文章教室に通ってみたり、

自分をさらけ出す練習をしてきました。

 

最近、ようやく本音を書けるようになってきたと思っていたけれど

まだまだ表面のきれいなことしか書いてないなあ、とにかく文章には限界があるなあと

感じていました。

 

もっと、いろいろ感じている自分を外に出したい。

飾らずにそのままの内面をかっこつけずに出してみたい。

 

はじまるやをはじめてから

徐々に変わってきたことだと思います。

 

はじまるやではいつも

そうやって本当の自分を出す練習をしてきたんです。

感じるままに自分と対話しながら描くことで解放されていく「NANDARAのワークショップ」

聴かせるための声ではなくて出る声を響かせる「本当の声のワークショップ」

 

どちらも内なる自分をそのまま飾らずに出すことを

教えてもらいました。

 

今回、

私はただ、自分がほんとうにずっとやってみたかったことをやるために

「はじまりの会」を企画しました。

自己中でごめんなさい。

 

「インスピアノ」

気分を落ち着かせるためとか弾きたいときに

まったく楽譜を見ずにでたらめでピアノを弾くのですが

即興というよりは鼻歌のような感じで

でたらめ弾きなのですが

一番楽しいのです。

「インスピレーションピアノ」略して「インスピアノ」と呼んで

プレイしてました。

 

鼻歌をだれかにきかせるのって恥ずかしくないですか?

あんな感じです。恥ずかしくない人もいるかもしれないけれど

わたしは、とんでもなく恥ずかしいです。

これを人前でやれるようになりたかったんです。

はじめはやはり曲っぽくかっこつけたメロディなのですが

途中からひたすら自分の聴きたい音を鳴らし始め

気持ちよくなります。

 

その時の自分の感じていること、感覚と、音の調べが

ぴったりあったときに何か癒しが起こるようなのです。

 

今回やってみて

私のピアノを聴いて、ほかの人はどう感じるのかしらとはじめは気にはなりましたが

感想はほとんどあってもなくてもいいという感じになりました。

 

とてもリラックスしたといってくれた方もいました。

けれど、本当に

ああ、出せたなあ。。。という満足感で完結してしまい

他人様の感想は必要なくなってしまいました。

 

あんなに、人目を気にして、

評価が怖くて今までやらなかったというのに! 

 

今回

人前で初めて、その場で、絵を描くということにチャレンジした人がいました。

終了後、ふたりでインスピアノの連弾もしました。

彼女の感想をのせます。

 

「昨日は勇気をもって踏み出してみたらいろんな気付きをもらった、

とっても素敵な時間でした。

インスピアノも絵を描くことも、もう、怖くないです。

本当に好きなこと、好きな気持ち、思い出せて嬉しかったです。

またすぐにでもやりたい!

一歩が、おっきかったですね。

たった一歩なのに、怖くても一度踏み出したら

もう次の足が勝手に出てくるんだなあって思いました。 」

 

 

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描きながら、こういう自分もいるんだなあ、

でもここ突破すると自由だなあとか

いろいろ感じたみたいです。

 

私も弾きながらすごくいろいろ感じてました。

面白い。

あとは2歩目を楽しむだけですね。

 

 

 

 

 

オイルトリートメント「月の庭」でマキもお月さまポーズ。

今日は「月の庭」アロマトリートメント。新月のスタート。
 
 
 
毎日が濃い。で感情も動きまくる。泣いたり笑ったり。
普段使わないところの筋肉使うと、当然疲れます。
そんな時は
 
ゆーっくりメンテナンスする。そういう時間を神様ありがとう。です。
 
誰かのために動いていたの、ここ数日。
もちろん自分のためでもあるんだけど
ちょっと度を越えていたのかも。
 
首が寝違えてなかなか治らなかったり、急に寒くなって体が冷えたり
苦手な長距離運転を連日したり
身体が休みたがっている。
今日はカラオケ歌う日じゃない!
休む日だ!
 
 
自分のための時間が必要だったのね~☆
 
 
今日はオイルトリートメント、背中と足をたっぷりやっていただきました。はあ。よかったです。「月の庭」を独り占め💛
☽☽ちゃんのちょうどいい手のタッチ。じんわり深い部分に届いていきます。
 
 
そのときに思い出したこと
 
「自分の特に身体のことを雑に扱ってたなあ。
色々感じてるくせに、やってあげてなかったなあ。
いつも競争意識や他人を気にして頑張ってたなあ。
 
なにもやろうとしなくていいんじゃないか
そのままでいていいんじゃないか
かわろうとしなくていいんじゃないか」
 
終了後朋子さんからも、感想が。
「もっと自由に感じることをやっていい、身体の声に正直になっていい」
そう、身体が言っていたように感じたそうです。
手から伝わるものと私が感じてたことがおんなじでした。
 
がんばんなきゃとか、これやんなきゃとか
そういうことより
 
これしたい、これしたくない
今は休んでいたい
 
社会生活を営んでいる身としては
そうもいっていられない毎日を皆さん送っていることでしょう
 
そんな時は
 
たまった身体の不満、を思いっきり聞いてあげて、いうこと聞いて
じっとするとか、遊ぶとか、そういう日を作ってみてください。
わがままかもとか
イケないことしてるんじゃないかとか
ダメダメ、ちゃんとしなきゃとか
そういうのは脇に置いて
 
自己中で自分をめいっぱい満たす日を作りましょう!!
 
 
新月の「月の庭」
次回は11月29日です
 
13時から17時までのあいだ予約3名様まで受け付けます。
足湯・バスソルト・ハーブティ・月のタロット付
3500円です。
 

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ドライブ中に出てきたうた

プラス、マイナス、足したり、ひいたり

掛算なんてできません

ましてや割り算、

損得勘定

割り切れない感情

 

青と黄の間のムゲンの色

無限の粒々たくさんの色

 

はっきりできないあいまいなところ

その揺らぎ

わりきれない

わかりやすくない

あーでもないし、こーでもない

愛でもないし、恋でもない

計算できない、わかりやすくない

わけなどない

あるわけない

感じるの

ただそれだけなの

なんとなく こっちがいーの

なんとなく これはやなの

それでいーよね

それもあるよね

 

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りるりるメロディが鳴ってる

そんなふうになってる

 

秋と冬のあいだの

素晴らしい一日

あなたに会いたくなったから

車を走らせて

このまま駆けつけたら

りるりるメロディが鳴ってる

頭の中で鳴ってる

なるようになってる

あんな風に

そんな風に

なってく

 

 

 

循環について

足の裏を使って、フミフミして、圧を加える療法を自宅の一室でこの春から始めた。

Sole Spring (ソールは足裏、スプリングはバネ、または泉)と命名。

はじまるやも、ソールスプリングも、泉がわいてそこから一歩また踏み出せるイメージなので、ワクワク(湧く湧く)な感じで覚えていただきたいと思う。

 

8の日は循環の日、∞はちみつの日

8月以来、ようやく開催できた。

そしてこの日に得られた感じは記しておきたいと思ったので、書き留めることにする。

 

あるお客さんから

朝起きるととても体が痛くて、足がつりそうになって、でも今日休めない日なので、

踏んでほしいと連絡が入り、

急きょ足圧にみえた。

痛めた部分をかばっていて、反対側の足に支障が出ていた。

おまけに手足がとても冷えていて、施術中に、どんどん鼻水も出てきている。

明らかに風邪だな・・・と。

とにかく

余計なことを考えずに、

ひたすら、ひとフミひとフミ、集中した。

今日、乗り切れますように・・・と祈りを込めて。

 

自分の中にある、あるエナジーがスイッチONとなった。

今、できるだけのことをして、考えつく限りのことを。

 

その日は∞の日だったからかな。

私の中の何かがあふれだし、与えきり、の状態になった。

 

夕方にも、また別の突然のお客さんがみえて、

やはり仕事でお疲れな体をフミフミさせていただけた。

ふたりも急患が入るのは珍しいこと。

でもちゃんとタイミングよく時間帯をずらして電話が入る。

 

昼間に行ったはちみつの会では

アロマオイルを使ったハンドマッサージをしてもらい、癒された。

 

寝る前に、ものすごく元気になっている私を振り返って思った。

前日まで、とても心理状態が久々に落ち込んでいて、

一人でもらいもののウイスキーなど飲んでいたのだけれど。

 

ふと思った。

 

わたしにとっての

ペイフォワードスイッチは、ソールスプリングだな、と。

「ペイフォワード」というのは昔の映画のタイトルで

世界をよくするためにどうしたらいいかという学校の宿題に

ある少年が思いついた方法。

自分が受けた善意や思いやりを、その相手に返すのではなく別の3人に渡すというもの。

 

15年前くらいにこの映画を見たときに感動して、でも自分はいつもいつも

こんな風に人に親切にしたり、愛でいられない。照れ臭くて、勇気もなかったり、余裕もない、と思っていた。

でもちょっとだけならできるかもしれない、と。

「pay forward」と書いた紙を壁に貼って、ペイフォワードスイッチを作ってみた。

意識的に、このスイッチを押したときだけ、

そういう気分になって、いいことができるかもしれない。

そんな子供っぽい遊びを思いつき、実行してみた。

 

近所に住んでいる一人暮らしのケニア人留学生にクリスマスの日にケーキを届けに行ったり、

隣の幼稚園になにかボランティアみたいなことをしに行ったりした覚えがある。

 

 

フミフミしてる時に、スイッチがONになる。

(踏ませてもらってるひとの体がスイッチという意味ではありません^^;)

無条件に今ここに集中できる。

自分も相手にもエナジーが伝わって

お互いに元気になれる気がするのだ。

踏まれている側だけではなく。

私の中から湧いてくる元気は何だろう。

あえて言葉にすると

「無条件の愛」のエナジーかな。

 

 

ご近所に住む、足圧に通ってくださる女性がいる。

彼女は居酒屋の女将で、その美味しい料理と、元気で明るい人柄で

わが町の癒しを求める人に素晴らしい空間を提供している。

そして、彼女を慕っていろいろなひとが集まっている。

本当に素敵だなあといつも思う。

 

私は

すごい陰ながらだけど

この町の人たちの元気を支えてるんじゃないだろうか・・・

彼女がいつも足圧の後に

「あああ、気持ちよかったああ。本当にここに来てから、腕が病まなくなった、

股関節がしびれなくなった。本当に楽になったよ~~」といってくれるから。

 

みんな、仕事では疲れ、家庭でも疲れ、人間関係でも、自分の過去の想いでも

いろんなことに疲れ、未来に不安を抱いている

 

そんな人たちを

陰で支えるはじまるやでありたいなと

つくづく思いましたった。

 

 

 

 

 

 

 

 

むすんでひらいて

もっと現実を見なさい

 

今ここを味わって

 

対象に集中しなさい

 

頭の中じゃなくて

 

ものを目でちゃんとみたり

 

音をよく聴いたり

 

感じたり

 

「考え」や「言葉」じゃなくて

 

「感覚」を五感で味わって

 

・・・・・

 

どこに行ってもそれを突きつけられた

 

料理の仕事で、オーナーにダメだしされたときも

お話を聴くボランティアをしたときも

彼と関係がうまくいってないときにも

・・・・・

 

何かがうまくいかないとき

じぶんの頭の中と外側の世界が合っていない

 

そして、その頭の中で思い描くものと違う

相手がそうふるまってくれない

 

そう感じると

 

相手を責めはじめる

 

口にしなくても

それは伝わる

 

へだたりができる

 

そして

そんなわたしに

ちがうよと

頭の中で考えてる「自分の理想」とか「願望」とか

そういうところから来ないで、と

 

わたしにそういってくれるひとは

とても自分に正直で

相手にも正直で、誠実であろうと、伝えようとするひとだ

 

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これは、料理の仕事を辞めた後に、もやもやした気持ち、言葉にならないものを形にしようとして、銅板で作った形だ。

 

いいふりこき(いいかっこしい)なわたしは、料理ができそうに見えたのだろうか・・・もともと店のお客だったために人が辞めるタイミングで、スカウトされた。

入ってみるとオーナーの女性は、裏の顔はとても厳しくて、すべてにおいて完璧主義。

適当でズボラな私も、仕事となると頑張るのだが、ダメ出しに次ぐダメ出しで、オーナーと上手くいかなくて、結局辞めさせられた。最後はストレスで口角炎が治らなくなった。

あんなに頑張ったのに、心を通じ合わせることもできぬまま、急な解雇はショックだった・・・・

 

けれど

なんかよくわからないけれど、心の中が相手を責めるだけじゃなくて

モヤモヤとした釈然としない

もっとこうすればよかったのか、ああすればよかったのか

 

いや本当はこうしたかったのに、こうできる自分が足りなかった。

 

 

それを、言葉にすると

「受け入れる」ということだ

 

私にオーナーの性格の何かを「受け入れる」体制が整っていなかった

 

それは

書きながら気づいたのだけど

 

やはり自分の頑なさと同じもの

完璧主義なところ

いいふりこきなところ

人に任せられないところ

 

 「受け入れる」っていう形を作ってみて

相手の何かだと思っていたけれど

ああ、自分を受け入れてなかったんだ

 

受け入れるということは

自分の手の形を変えるということでもある

グーの手をパーにする

ほどくということ

 

もっと開いて受け入れたい

わたしのある部分を

受け入れられたら

手を結びあえるのかな

もう一度

 

 

・・・・・

 

 オーナーが教えてくれた

料理は五感でするのよという言葉

 

その時は全く分からなかった。

今でも何となくだけど・・・・

 

とにかく

今、ここを味わってみることを

もう一度意識に刻み付けることにしよう

 

 

 

深夜の独り言

よく、「今ここに生きる」とかいうじゃない。

今、ここにいるって、得意な人と、そうでもない人といるような気がするんだよ。

私も小さいころから、空想、妄想、そんなことが大好きだった。

頭の中で常に物語を空想していたし、一人で遊ぶのが大好きな子ども時代だった。

成長してからも、

非現実的なことのほうが得意だった。

恋することは一番得意。空想と思いこみの世界に浸れるのだから。

 

でも、結婚したら、現実的にならざるを得ないわけで。

日々の生活、暮らしのこと。

だからそういう自分になろう、ならなきゃ、と頑張ってきた。

そして、ある程度は板についてきた・・・・と思っている。

相変わらず、掃除は苦手、お客様が来る前ギリギリにならないと片づけられないけれど・・・。

 

この雫石という町は、冬、けっこう雪が降る。

だから当然雪かきも必要になる。

薪の準備もしなくちゃいけない。

畑も待ってはくれない。猫も餌を欲しがる。

当たり前の日常生活。

 

しかし、・・・

 

人間は向き不向きってモノがやはりあるなと感じる。

私はピアノを弾いたり、何かカキモノをしたり、鼻歌唄ったり

ネットサーフィンしたり、

そんな時間が必須のようだ。

 

空想を掻き立てるアートの時間や、

友達とのたわいないおしゃべりや

カフェで一人で過ごす時間のなんと大切なことか。

 

わたしはよくもっとグランディングを!とか、地に足をつけて!と言われる。

そうかもしれない。

でも、草取りとかすると、すぐ疲れるんだよーー。ぐったりするんだよー。

 

もうお金の計算とか、草取りとか、片付けとかは、得意な人、できる人に任せて、

思い切り、自分らしくいてみようと思う。

 

幸い、その環境にあるので。

自由な今、自分が作った「こうあるべき」とか「ねばならぬ」と枠を

自分で壊す勇気を持つだけなんだ。

 

自分にとって楽なことをするのに、本来勇気なんて必要ないじゃないか。

なのに、なんだかいろんなモノが邪魔するのはなぜ?

 

本当の意味で「今ここ」に生きるってなに?

自分の心に、自分の体に、今、聞いて、そのままをすること、だよね?

 

私は「うまく」やろうとしてきちゃった。

「正しく」やろうとしてきちゃった。

「いいこと」言おうとしてきちゃった。

本当の欲求がわからないほどに。

 

だから、ちょっとほどこうと思うんだ。

だからB面の自分。実はこっちもA面ってことで。両A面!!